Nov 10, 2010

ガラスの修理代は誰が支払う

わざわざ一度取り外してか、それとも事故で壊していることを、どちらか切断しては変わりがない。も、公立学校では、法律いたずら切っても、ガラスの修理代は学校が支払うことになっている。これは非常に一貫性のある物語である。学校以外の場所で、もし物品を切断すると、故意であろうとなかろうと、修理をするのは当然だ。は、なぜ学校では、他のがおかしい。なぜそのような法律があるのか​​、多分学校が平和の秩序が維持されている時代に作られたのだ。でもその法律をなぜ変えないのか、私はいつも疑問に思う。絶対にガラスの修理は、学校の中で切ったものでなければならない。
彼らが壊れてから修理交換するというのは自然な​​考えですね。しかし、我が家を守るセキュリティのようであるが、キーの場合には、それが適用されていない。やはりキーの交換というのは、セキュリティ目的のため、セキュリティの能力向上のため定期的に実施することです。鍵の交換は壊れるずっと前に防犯のためにする必要があります。
 自民党県連は11日、任期満了に伴う南国市長選(20日告示、27日投開票)で、再選を目指す現職の橋詰寿人氏(65)を推薦すると発表した。橋詰氏へは公明党県本部も推薦を決めている。【黄在龍】

11月12日朝刊

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 高知刑務所は11日、清涼飲料水などを盗んだとして窃盗罪に問われ、略式命令を受けた同刑務所の男性看守(35)を停職2カ月の懲戒処分にしたと発表した。男性看守は辞表を提出し、同日付で受理された。
 男性看守は今年8月、高知市内のコンビニエンスストアで清涼飲料水(110円)と雑誌1冊(330円)を盗んだとして、今月2日に高知署に逮捕された。11日に高知簡裁から罰金30万円の略式命令を受け納付した。調べに対して、男性看守は「お金を支払うのがもったいなかった」と話しているという。
 高知刑務所の辻本隆一所長は「職員の指導を徹底し、綱紀粛正に努めたい」とコメントした。【黄在龍】

11月12日朝刊

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 ◇医療、地震対策、財政……
 高知市長選(20日告示、27日投開票)の立候補予定者を招いた公開討論会(高知青年会議所主催)が10日夜、高知市内であった。3選を目指す現職の岡崎誠也氏(58)と共産党公認で前高知市議の迫哲郎氏(49)の2人が約2時間、政策や持論を展開。約350人が聴き入った。【黄在龍】
 南海地震や財政再建、少子化問題などについて、「○×形式」と一問一答で両氏に質問し、具体的な政策を聞いた。「○×形式」では、18の質問が出され、「高知市の医療は充実している」「ゴミの収集を有料化すべきだ」など五つの答えが対立した。
 南海地震対策では、岡崎氏が「震災後の復興計画を事前に作り始める必要がある。被災後に作り始めても遅い」、迫氏は「避難路の整備などを積極的に行うことで、行政の真剣さを市民にアピールすべき」と訴えた。
 財政再建について、岡崎氏は「この3年間で約400人の職員を削減し、人件費で100億円以上を抑えることができた。あと1年で再建が可能だ」と主張。これに対し、迫氏は「(財政再建のための)国保や水道料金の値上げなどで市民の負担が増えており、生活困窮者も増加している。もっと市民に還元すべきだ」と反論した。
 また少子化対策について、岡崎氏は「ママ友が集まる子育て支援センターを広げていきたい」とし、保育料の負担軽減については「高知市は子どもの数が多いため、政策に踏み込めない。国に制度として求めていく」と提言。一方、迫氏は「県下で、高知市の子育て環境は最低水準。市でもっと底上げしていくべきだ」と批判した上で、第3子の保育料無料化などを政策として唱えた。

11月12日朝刊

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 胸がジーンとなる取材だった。5日にあった、第三十六代木村庄之助の襲名祝賀会だ。
 山崎敏広さん(63)が古里の枕崎を離れたのは、中3の冬。お客さん扱いは最初の3日だけ。後は「それは厳しい世界だった」。何度も行司の仕事を辞めようと思ったが、盛大に送り出してくれた両親らのことを思い、踏みとどまった。両親は「とにかく辛抱。負けるな」と励まし続けた。
 20歳前後までは、同級生の就職先や大学名を聞いては修業中の自分と比べてしまい、つらかったという。
 辛抱、辛抱で47年、たどりついた行司の最高位。祝賀会では、目は潤みっぱなしだったが、顔はずっとこわばっていた。「(大相撲九州場所を)15日間差し違えなく締めくくれるかばかり心配している」。職責の重さを考えれば当然だろう。
 「『三十六代庄之助は、いい行司だった』と後々まで語り継がれるような行司に」。そうあいさつした時は、笑顔がこぼれた。【山崎太郎】

11月12日朝刊

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